好きになるのに理由がいらないって、あれマジィ?
どうもみなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。ただいま教員採用試験直前!真っ只中!面接練習で座右の銘を聞かれたら「人生まさかの連続(byジェシー)」と答え、どんな先生になりたいかと聞かれれば「北斗七星のような存在になりたい」と答えている幸音でございます。早く教員になってJCたちとジャニーズの話、してえ〜〜〜〜〜〜!!!!!!
まあ、それはそうとして。NAVIGATOR、見ました?ヤバくないですか?字幕見ててもなに言ってんのか全くわかんないしじゅりちゃんのラップ、日本語だったんだ……ってなったんですけど、なんかもうファンがみんなで歌って楽しむことなんか度外視してて、「え?なんでお前らが歌うわけ?」とでも言わんばかりの高難易度の曲……音楽とパフォーマンスを魅せることに徹してるのが、もう、、ちゅき………
というわけで(どういうわけで?)勉強と論文執筆に疲れた限界JDが、なぜSixTONESにここまで惹かれるのか考察してみました。
1.つよい
戦隊ヒーローに憧れる5歳児か?
強さへの憧れ、というか羨望、渇望とでも言うのでしょうか。より強いものを求める生物としての本能なのか…。
強さと言っても色々あると思うのですが、SixTONESには物理的な強さではなく、生物的・社会的強さがあると感じてます。自然界的にも、社会的にも簡単には淘汰されなさそうな強さ。
まあ実際しんちゃんは島仕込みだしな……(違)
この辺はもう私の虚妄も多少入るのですが、(いいんか?)彼らってどんな集団においても上位にいるタイプだと思うんですよね。それぞれが高いスキルを持っていて、明るくて、面白くて…。
いわばクラスの一軍男子。(でも絶対いじめとかはしない)
彼ら自身の能力ゆえに図らずもトップに立つことになった感。
するとここで中高生時代のインキャを拗らせ勉強とピアノの練習に打ち込み、派手な女子たちに虐げられてきた人格が暴れ出すわけですよ。
ダンスと歌が上手くて、思いやりがあって、かっこよくて、本当は仲良くなりたいし話かけたいしなんなら私だって優しくされたいけどでも私なんて……私が話しかけたらキモいし………と卑屈で後ろ向きだった中高生時代の私が早口でボソボソと呟き出すのです。
でも、なんということでしょう!(劇的ビ○ォーア○ター)
SixTONESのパフォーマンスを見て熱狂し、感動することで、そんな気持ちが昇華されるような気がしてきません?え、私だけか。
クラスのイケてる男子たちが好きだって言っていた、読めない名前のヒップホップをこっそり聴いみたような高揚感と、永遠に強くなることに憧れている私がなんだか無敵になったような、そんな自分が満たされている感覚を味わっているのです。(拗らせてんな〜〜)
そして、彼らの強さは、人を蹴落としたり貶めたりして得た強さではないんです。
ただただ、自分らしくあることを求めて得た強さだと思います。
SixTONESを見ていると、異種格闘技みてえだな…と常々思うのですが、それぞれが自分の身体と声と精神を最大限に美しく見えるように、それだけを考えてパフォーマンスしてその質のみでバチボコに殴り合ってる感があるのです。これが6人のダンスが「揃わない」と言われる所以かなとも思うのですが。
SixTONESの6人それぞれが、相手の強みや良さを認め合った上で「まあでも最高にイケてんの俺だしな」って思ってそうで、ほんとうに堪らないですね。
それは、雑誌やラジオなどの発言の端々にも現れていると思います。彼らはすごくナチュラルに、かつ冷静に、○○はこういう人で、こういうところがすごい。と発言している印象が強いです。
ジャニーズ「らしくない」と言われたり、やりたいこととやらなければいけないことの狭間で悩んだりしながら「らしさ」を確立していく姿勢はほんとうに痺れます。
SixTONESのライブに行くために好きな服を着て好きなメイクをしている自分は最高にいい女になったように思えるし、アイドルソングとは思えない重低音が響くSixTONESの曲を聴きながら7センチのヒールで歩けば、誰にも負けない最強の女の気分になれます。
私にとって彼らは、自分が自分らしく在っていることの強さを教えてくれて、自分らしく表現して輝く勇気をくれる存在なのです。
2.音楽の楽しさの本質
を教えてくれる
みなさん、音楽の楽しさ、美しさってなんだと思います?
私は大学では音楽科教育学を専攻しているので、ここら辺のことをめちゃくちゃ考え考え時には病み、わりと病み、頻繁に病みというかんじなのです。てへぺろ。早く卒論書かなきゃ(血涙)
音楽科教育学の分野には、ユーダイモニア(Eudaimonia)という考え方が流行りつつあって、まあ簡単に言うと「音楽によってよりよく生きる」みたいなニュアンスなんですが、SixTONESって、すごい、音楽によってよりよく生きる術を知ってる人たちって感じがするんです。
それぞれバックグラウンドにある音楽文化は違ってると思うんですが、彼らのパフォーマンスを見ていると、「なんか難しいこと考えずに声出して、体揺らして、楽しもうぜ、ほら最高じゃん?それでよくね?」みたいなラフさを感じます。
音楽を聴いて、楽しいと思ったり、かっこいいと思ったり、ちょっと陶酔してみたり、そういう言語化しづらい音楽のよさとか楽しみ方を大事にしてるんだろうなあ、と主観ですが思うわけです。
そして、私が4年いや音楽人生でいったらもっとかけて見つけた音楽のよさのひとつに、自己存在感というものがあります。
自己存在感とは、
自己存在感とは,自分を価値のあるもの,かけがえのない存在として認め,集団の中で居場所があると感じる気持ちである。それは学校においては,学級集団の中で人とかかわることを通して自分を知り,自分を受け容れ,自分を肯定的にとらえることができたときに感得することができる。
児童の自己存在感を高める指導法の工夫に関する研究
―構成的グループ・エンカウンターのシェアリングにおける援助に視点を当てて―
簡単に言うと自分はこの集団に属している一人だと言う感覚のことで、帰属意識と言ってもいいかもしれませんが、敢えて「存在」という言葉を使います。
学校には合唱とか合奏の授業がありますよね。あれって、ただたんに団結力を〜とかそんな話ではなく、音がぴったり重なり合う瞬間を共有することで、「ああ、私ってひとりじゃないんだな、ここにいるんだな。」って感じるためにあるんだと私は考えてます。
私は、そういう「ああ、私ここにいるなあ」って感覚を、SixTONESのライブに行くとたくさん感じることができるのです。
例えば、IN THE STORMのスーパーじゅりちゃんタイムのペンラの打点の揃い方とか、
(実際この現場私もいたのですが、ここの会場の一体感は異常でした。もはや狂ってた。)
他にもたくさん、SixTONESのパフォーマンスは、ただお客さんとして見ているだけではなく、そこに参加して共有して、混沌の中に一緒に身投げするような感覚(どんな)が強いと思っています。
なんかすげえ教育学的な話になっちまいましたが、SixTONESは、共に音楽を楽しむことで、ひとりじゃないと思わせてくれる、そして、どんなにしんどくても報われなくても、「ここがお前の居場所だよ」と言って楽しませてくれるような(8割妄想)、そんな罪な集団なのです。
まとめ
どうしよう、激重激長ブログを生成してしまった。
好きになるのには理由は要らないとよく言いますが、好きな理由を考えてみるのもよいものです。自分の本質とか、拗らせたイタい部分が見えてきますしね。(自傷行為)
まあ、とりあえず、早く教員になって職員室の机に松村北斗さんの写真忍ばせたいし、休み時間に Imitation Rain弾いて人気者になり、たぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!